矢野博英君追悼登山 by大石 整

  • 2018.08.04 Saturday
  • 16:01

2018年4月21日(土) 百姓ゴッコをしている所に大石君より電話が入る。

「さては、10月のOB会に参加できなくなったということか?」頭をよぎる。

 

然に非ず、堂ヶ森に来ているという。

 

矢野君の墓標もすぐに分かりましたよ、と宣う。

彼はコーヒーが好きだったと中西女史が言ってたなあ〜

それとも、コーヒーは彼女だったか?

まあ〜いいや。

お供えしてくれたんだ。

サミットの自家焙煎コーヒーが良かったのにとは、電話で言わない。

保井野側に少し下ったところだと言ってたなあ〜。

 

そういや、昨年だったか?もてころKenchanも墓標を見つけたよとメールをくれたが、残念写真がブレていた。
 

小生は、もう3年〜4年前に登ったきり。

日時が思い出されないのは、69才になろうとする中低年の特性。

思い出せなくても、まあ、いいじゃん。
山も昨年の鬼怒川温泉での天狗会、ついでの高尾山だけ。
孫参りと歩き遍路で山は御無沙汰、仕方ないじゃん。
これを書いていて、ふと思う。
大石君は53年卒、彼との出会いは何時?何処?でだったかなあ〜!!

OB会?仙丈からの北岳への途中で会ったと覚えているが・・・
この写真がデジタル化出来ると良いのだが、
アナログ人間には遠い世界。
まあ、記憶の欠落などあっても、いいじゃん!!
政治の悪いことに比ぶれば可愛いもの!!!
その堂ヶ森山行時は、当たりを付けて探し探し歩いたが、諦めた。
その後、57年卒曽我部氏の情報で分かったことだが、
「クマザサに覆われ墓標も壊れ」、場所が分からぬ小生には・・・・
1年探しても見つけることは不可能であったろう。
曽我部氏の整備や、昨年の58年卒の中西女史や槇、三好氏の整備のおかげで
「矢野君の墓標もすぐに分かりましたよ」になったのを感謝しなければなるまい。
少々、本題がずれてきた。
確か、大石君と矢野君とは高校・大学も同じであるが行き違い。
矢野君は八幡浜高校卒でもありワンゲル部の後輩ともなる大石君との交友はあったのか?
何てことはないが、これを書いていてふと思い付いた。今度会ったら聞いてみようか。
大石君の想いに帰る。
彼と話したのは何時のことだっただろうか?
このように、周りの展望をカメラに収めたのであろうか?
もし、あの場所で写真を撮ろうと思わなければ・・・・

 
白骨林も儚んで空しくなっていく。
クラセの頭も西冠の遙か石鎚も、このような姿をあの時、彼に見せたのであろうか?
堂ヶ森頂上で矢野君の足跡を偲び涙する。
愛大小屋は5〜6年前だったか新しくなり、あの事故を知りもしない。
あの悲しみや怒りは、時間のフィルターを通して和らげることが出来る。
 
帰りに、もう一度お参りして、また来るからな、とつぶやいて別れを告げる。
僅か5時間余りの追悼登山でしかなかったが、改めて何気ないことでも大きな事故になる。
山ばかりではない。自分自身の生活の中にも潜んでいるのだと、再認識した山行であった。
                                     合掌
コメント
ブログアップが無くなって、そうとうに疲れているんだろうなと・・・三馬君達の話題も途絶え、心配していました。追悼登山、寂しいのと懐かしいのと半々ですね。運命としか言いようが無い。思い出すだけの繋がりがあったんでしょう。合掌 山は良い、素晴らしい!
  • 鬼城
  • 2018/08/08 9:42 AM
気が遠くなるほどのお久しぶりです笑
生きておられましたか。孫と歩き遍路に明け暮れていたんですね。元気でよかった!!
遍路いろいろあったでしょう。今回の二度目の結願、まとめでええけんアップしてください。待っとるよ。篠兄
  • 篠兄
  • 2018/08/06 7:55 AM
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