追悼登山ー追想ー

  • 2017.06.09 Friday
  • 01:01

1980年(昭和55年)5月16日(金)14:51

 

松山商科大学ワンダーフォーゲル部に激震が起こった日である。

四国合w調査の週末パーワンでの一瞬の事故。

 

夕方、故松岡先輩より電話があり部員が事故にあった。

松山に来られないか?とのことであったが・・・

仕事で、どうしても抜けられない。

カンパだけでごめんなさい!

 

 

この事をいつから忘れていたのか?

思い出そうとしても思い出せない。

 

5〜6年前、堂ヶ森に行くときに思い出す。

そうだ立ち寄ってみよう。が、場所が全く分からず。

 

機関誌「天狗追悼号」発行年月日 昭和55年10月6日
 

 

送られてきて、さらっと見て・・・・本棚の中に他の機関誌共々眠っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

57年卒曽我部氏を中心に墓標修復・追悼登山をしようと言う話が持ち上がっていた。が、・・・

日程調整が難しくて、結局天候の都合で一人で行ったとの報告がFBに揚がった。

 

な、何だよ!でも・・それもそうだ。その方が気楽だよな。

 

曽我部氏、平成15年5月20日の画像

 

訪ねる人もいなかったか?笹の中に慰霊碑は眠っていた。

 

探して・・・探して・・・探して (ご苦労様!)


 

見つけた。笹を刈って・・・・・・・・

 

慰霊碑も久しぶりに陽を浴びて嬉しそう。
 

曽我部氏の言

 

1慰霊碑はかなり痛んでおります。

2学生が練ったコンクリは弱い。 
3応急処置をしてきました。   

4秋には本格的になおします。  

 

 

 毎年5月16日前後に慰霊登山をしたいと思います。

 

当時、矢野さんと同じく空気を吸った人は、そんな気持ちになるかもね。

 

 一方で、辛くて山から卒業した人も居るかも知れない。

 人はそれぞれ。

 

 その時の辛い様々な気持ちは忘れないまでも、全てひっくるめて風化していて欲しいと考えるのは、当事者でないからか?

 

 

 

 

 

時は流れて・・・、弊ブログに中西さんという女性からのコメントが入った。

 

やり取りの中で、矢野さんの同期部員で途中退部したのだという。

彼の慰霊登山がズ〜〜〜と気になってきたのだと言われる。

新居浜に住んでいる曽我部さんを夫婦で訪問したりして・・・

交流を深めていき・・・・

 

ついには、八幡浜に住んでいた矢野さんも道後聖墓苑に眠っているということも彼女が探し当てた。

 

そして、元部員の何名かで慰霊登山実施について話が揚がってきたようだ。

 

小生は、やはり登山だけなら一人が良いかな?

百姓ゴッコが忙しい。日程調整は難しい。

 

先月の5月17日、何人かで行くようだとの情報が入っていたが・・・

 

曽我部氏のFBには

 

堂ヶ森に慰霊登山に行ってきました。結局一人で行きました。

 

やっぱりね!

 

笹を刈る道具を置き忘れてきました。だめだこりゃ。
またもやクマ笹の中、

 

手動式葉っぱ千切り器。

葉っぱをちぎったのが下の写真です。

 

 

 

 ギター抱えたワンダラーシンガー曽我部 久氏

  実態は新居浜市 エルスタジオ経営者

 

 矢野君に捧ぐ山の歌?

   違う?

では、好きだった山崎ハコの流れ酔い歌か?

    ブウー

山男のセンチメンタル 惜別の歌か?

   ぶうー

  奉納曲は、長渕剛の「close your eyes」だと!           

  フンフン・・まあ知らない歌だわな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 慰霊碑の前を通る道は廃道になっていました。
慰霊碑の正面の所までは笹を刈ってくれていたのはご慈悲ですね。
慰霊碑の正面のあたりに鉄の棒をおいて道を塞いでいます。
ここが廃道になって、梅ケ市方向へ20秒ほど下に下りたところに保井野への分岐があって、そちらがこれからは本線なり。
慰霊碑を見るのはもう、我々だけになっていきます。

 

慰霊碑の少し上に登った場所です。            
雨水は右方向へと誘導されて、慰霊碑の方へ流れて行きます。

 

  

 

一方で件の中西女史、同期の人に連絡を取り慰霊登山を計画をしたようだ。

その日の16日にかなりこだわりがあったが、結局仕事の都合で28日に実行。

 

参加者は3名。

58年卒 槙 俊佑氏

同   三好 健夫氏

同 中西(大西) 洋子女史

 

さすがワンゲルのメシを食った経験者

初めての登山コースだったためか?慰霊登山の企画・連絡・実行責任があったためか?

事前偵察登山をしたようだった。

 

 

前週に梅ヶ市との分岐までトレーニングとルート把握を兼ねて登っていた。

 

しばらく山から離れていたので、勘を取り戻すには良い経験だったはず。

 

慰霊碑の前で矢野君の好きなコーヒーを一緒に飲むという強い気持ちは・・・・

 

荷物を軽くするために、カッパとガスコンロとクッカーは断念。
甘くはないよね!

 

ワンダラーの基本

行動食は用意しただろうが、非常食2日分、余分の水、ヘッドランプ、ダウン、着替えなどはどうかな?

 

さて、その5月28日(日)彼女の報告メールには

 

曽我部さんの記述どうり保井野側から碑へ直登の道は鉄の棒で止められてました。
 しかし、槙君は難無く分岐から稜線を5メートルくらい行って碑を見つけました。

彼も35年ぶりにのはずなのに、よく記憶してました。

(やはり彼はパーメン、重い想いを背負ってきのだろうと拝察する)

 

 

 

 

 

ザックを下ろした後に、早速、愛妻様に証拠写真を送付する二人。

 彼女が、お連れ愛様に送ったという報告はない。

 

 

曽我部さんは笹刈り鎌を忘れて、手でもぎ取り・・・(爆笑)

同期三人組は・・・・

中西女史に言わせると

槙、三好君は持参してきた鎌で、怒濤のようなすばやい笹刈りをして、碑のまわりを整えました。

二人の鎌さばきは、見ていて怖かったほどです。

 

 

線香と、三好君がきんつばを供え、しばし黙祷。そのあと記念撮影。

彼がこだわっていたコーヒーを供えられなかったのは心残りか?

 

不肖この山野貴公子が、その内に美味いサミット自家焙煎コーヒーを供えてあげよう。


 

その後堂ヶ森のピークへ、初めて有名な反射板や三角点を見たり、槙君の解説で感動的な眺めを目にしました。
 矢野君と槙君が落ちた木のあたりを教えてもらいましたが、崖とは思えないほど静かな灌木で覆われてました。

 

やっと念願の慰霊登山ができたという、喜び発露のポーズとなったか?

 

 

 

 

 

 

彼女は言う

30年以上山やってないもん同士で無理にパーティー組んで登りましたが・・・

慰霊碑と、ピークと、事故なく下山できたのは山の神様が暖かい目で見守ってくれたからか、

矢野君が喜んでくれたからか‥‥ 

 

顧問 鈴木先生の追悼号巻頭言の一部を掲げる。以て、合掌

人間もとより死せざるは無し。

されど、明朗闊達にして性は純良なる好漢矢野博英君が、

未だ人生の山麓に在りながら鬼籍に入るのは痛恨の極みなり。

吾人、天道の振舞い非たるを疑わず。以下略

  

コメント
中西洋子様
 ありがとうございました。
「機会があれば山岳のお仲間の方々にこころを尽くし切れていなかったことを言葉にのせて頂ければと思います」
 拝察するにやはり時間のフィルターを通してからこその、親族の言葉ではないでしょうか。
  • 山野貴公子
  • 2017/09/30 12:10 AM
武田さんへ
本日拝受の矢野博英君の叔母様からのお手紙の一部抜粋しました。

「博英が亡くなった当時の墓地は私の裏山にあり、年を重ねてもバイクでお仲間数人が貴重な時間を費してお墓参りに来て下さったことはよく憶えています。
ある時いつもの調子でお仲間がお参りに来られ墓碑が無く驚かれ声を掛けて頂いたことを紐解きつつほんとうに申し訳なかったと思っています。(中略)博くんも再び会えたことをどれほど嬉し泣きしていることでしょう。心から御礼申し上げます。
秋彼岸 慰霊登山の 報(しらせ)あり
         矢野 長代 様より
  • 中西洋子
  • 2017/09/28 9:21 PM
中西洋子様
 報告写真等ありがとうございました。当時の顧問、鈴木先生は存じ上げませんが、巻頭言は当時の部員の気持ちを表している心の叫びだと思います。

小生のお世話になった先輩諸氏、顧問の宮崎先生等、あの世に旅だった人が多くなってきています。
これはある意味仕方のないことで、想い出すことが供養と折に触れ思いだしているところです。

風化した思い出が良いのではと個人的には思います。
  • 山野貴公子
  • 2017/06/14 11:06 PM
鬼城様
 アフターも哀しき話神生わすー山尾火ー
同釜のメシを喰らいテン泊した者にとっては、特にパーメンにとっては、悔しさ哀しみ辛さは如何ばかりか?
折に触れ、想い出すことが供養と寂聴さんが言ってます。
  • 山野貴公子
  • 2017/06/14 10:52 PM
山貴公子様 追悼登山の記録ありがとうございました。私や槙君はブログやフェイスブックをしないので、武田さんが綴ってくれた記事でいつでも思い返して見ることができます。連絡のない同期や先輩も、いつかブログを見つけて故矢野博英君に辿りつくかもしれません。彼が忘れられる事なくいつまでもみんなの胸に残っていてほしいです。笑顔が網膜に焼きついています。
保井野からの道は、5月下旬に石楠花が咲く(その名もシャクナゲ尾根)ので、来年もその頃に登ろうと思います。 中西
  • 中西洋子
  • 2017/06/14 5:11 PM
山仲間が亡くなるのは耐えられません。いくら慰霊をして貰っても、若い人生は途切れるのですから・・・ただ残された者達が記憶にとどめてくれる、それだけが救いか? 合掌!
  • 鬼城
  • 2017/06/12 8:09 AM
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